TOUR GUIDE
三好市の歴史を地元の住民が独自の視点からご案内致します。ちょっとした歴史の知識でさらにいい旅になるようにお手伝いをしています。
《e-mail》info@miyoshi-tourism.jp
《FAX》0883-76-0876
全て見つけられる?
多くの霊獣と謎に包まれているお寺
吉野川を見下ろす箸蔵山の頂上に開かれた箸蔵寺。四国でこれほど多くの動物に出会うお寺はないでしょう。本坊では阿吽の虎が迎え、護摩殿に進むと、鳳凰がこちらを見下ろし、十二支や鯉が優雅に遊び、獅子や麒麟、獏が見守っています。きわめつけは、石段を上った先に建つ御本宮。参拝する私たちを待ち構えるように、獅子や龍が見下ろし、大きな天狗もカッと目を見開いています。
といっても、生きている動物の話ではなく建築装飾として彫刻された霊獣のこと。あまりに生命力にあふれているので、彫刻であることを忘れてしまいそう。造形美もさることながら、職人の想いが時代を超えて伝わってくるのです。作者は、伝説の彫刻職人、左甚五郎の弟子が手がけたのではないかと言われています。
箸を挙ぐる者、
我誓ってこれを救わん。
箸蔵寺は、その名の通り「箸」に関する、歴史や伝説が残されております。大権現のお告げである、「箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救わん」に出てくる箸は、箸を使う全ての人、つまり生きとし生けるもの全てを救済する。この意味が箸蔵寺の名前の由来となっています。
さらに、箸蔵寺には天狗が箸を運んできた…?とされる、「箸運び伝説」も残されており、8月4日を箸の日とし、箸供養も行なっています。
歴代の住職も見たことがない、
金比羅大権現の秘仏。
一体、霊獣は何種類いるのでしょうか。そしてその数は?謎に包まれているのは、彫刻だけではありません。御本尊の金毘羅大権現は開山以来の秘仏とされ、歴代の住職も見たことがないそうです。
このツアーでは、ガイドと一緒にたくさんの「不思議」を解く旅に出ます。彫刻のほかに、歌舞伎役者から寄進された石燈籠や、寺名の由来となったお箸の話など、お寺の歴史にまつわる話をたっぷり聞くことができます。箸蔵寺に詣ったことがある人も、きっと新しい発見があるでしょう。
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吉野川に恵まれた
刻みたばこで繁栄を極めた町。
吉野川のほとりにある井川町の辻地区。古くから水運の拠点、宿場町として栄え、とくに幕末から明治時代にかけては刻みたばこで繁栄を極めた町です。
祖谷と井之内谷の山間部で栽培されていた葉たばこは、辻の町で加工されて刻み煙草となり、目と鼻の先の船着き場から平田船で吉野川を下って、現在の徳島市や大阪方面に運ばれていました。このツアーでは、地元ガイドの案内で葉たばこが運ばれた道をたどりながら、工場跡地や商家の意匠を見つけます。辻の町は、江戸中期から小規模な加工場が軒を連ね、明治の最盛期には80軒前後もありました。職人の知恵により、カンナ刻みの剪台が考案され大量生産が可能に。大きな工場こそありませんでしたが、どの事業主も地域貢献に積極的で、小規模な工場が資金を出し合って小学校を建てたほどです。
歴史の残る街並みを体感し、
懐かしい情景が浮かんできます。
町を見守ってきた今宮神社の石段を上り町を見下ろすと、まるで往時の景色を見ているかのよう。今もどこかの工場で刻みたばこが作られているのではと錯覚してしまうのです。
懐かしい街並みで
古き良き時代を思い出しませんか?
あちこちで家内制のこぢんまりとした工場跡が見られるのが、この町のいいところ。路地を歩きながら見つけた葉たばこの乾燥小屋、職人の住宅や工場が集中した町並みは素朴な風情。昔ながらのお菓子屋さんを訪れると、ほのぼのとした気持ちになれます。
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先人から受け継いだ風習を、
ご案内します
『よびごと』という言葉は、この地方でまだ電話が無い頃に使っていた連絡手段で、山の上下(うえした)の離れている家や谷をはさんだ山向こうの家々に用事を伝えていた頃の呼び方です。祖谷の古い歴史や文化、又は風景などをお客様方にこの土地ならではの言葉で伝え、ご案内します。
日本三大秘境祖谷の旅風景
源平合戦に敗れた平家一門は文治元年(1185年)、安徳天皇を奉じて多くが壇ノ浦の海に沈んだと伝えられています。
しかし、その中の幾人かはいくつもの山を越えて、ひっそりと隠れ里に移り住んだのです。
そして営々と続く雅を秘めた文化。ここには数々の平家伝説と共に、その面影が大切に残されてきました。
祖谷のかずら橋には、平家の落人がこの土地に潜み、追手が迫っても、すぐ切り落とせるように橋を造ったという伝説があります。
かずら橋の近くにある琵琶の滝は、四季折々の植物に飾られ、滝が一直線に流れ落ちる姿は勇壮でもあり、純真華麗な女性のようでもあります。この滝の高さはおよそ50mあります。
『琵琶の滝』の名前の由来は、平家の落人たちが、ここで京の都を懐かしみ、華やかだった頃のことを偲んで琵琶を奏でて慰め合ったという伝説から、その名が付いたといわれています。
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《公式SNS》
※活動報告やスペシャルツアーの参加者募集など積極的に情報発信しています。気になる方はぜひフォローしてみてください。
三好は歴史文化から大地のことまで
“丸ごと”楽しめる場所
三好市には徳島の方言で「ソラ」と「マチ」と呼ばれるエリアがあり、ソラは山間部、マチは平野部を指します。
祖谷や山城や井ノ内地区などソラにある傾斜地の集落は、地すべりによって作られた緩やかな山の斜面に築かれています。一方で池田や井川町辻や三野町芝生などのマチにある集落は、吉野川や大断層により作られた大地の上で繁栄しました。
ソラとマチ、それそれの特徴的な文化を紐解いていくと、大地の特徴と深く関係して育まれたことに気づかされます。
ジオツアーの「ジオ」は日本語で「大地の」という意味です。三好市の人々の暮らしから大地の特徴まで“丸ごと”楽しめるツアー、それがジオツアーです。
阿波池田に刻み込まれた
大地と人の暮らし
甲子園での高校野球をわかせた池田高校がある街、三好市池田町。ここは江戸時代から四国山地や讃岐山脈で栽培された葉たばこが集められ、刻みたばこ業で繁栄した地です。
池田町市街地は3つの高さの異なる大地が広がっており、真ん中の高さの土地(池田町マチ・サラダ)で刻みたばこ業が行われておりました。どうして真ん中の高さの土地で刻みたばこ業が盛んになったのでしょうか?
一番低い土地は吉野川の洪水や四国山地からの鉄砲水に悩まされた地で、昔は人が住みにくい環境でした。一方で一番高い土地は水はけが良すぎで水道整備ができていない時は人が住みづらい環境でした。
このように池田の歴史文化は大地の特徴と非常に関係して育まれたのです。
ツアーでは、実際に池田の大地の特徴や歴史文化を感じられる場所にご案内します。
なぜ大歩危小歩危は魅力的なのか?
徳島県でも指折りの観光名所、大歩危小歩危。ここには、美しい自然がたくさんあります。例えば、吉野川の東にそびえる国見山と吉野川までの高低差は約1200mにもなり、急峻さを感じることができます。さらに大歩危小歩危の峡谷では、川が頻繁に増水する場所に、タフで美しくに生きる植物を観察することができます。
また、「大歩危小歩危」という特徴ある名前もその魅力の1つです。なぜこれほどまでに大歩危小歩危は魅力的な地なのでしょうか?
大歩危小歩危のジオツアーでは、「大歩危小歩危という名のルーツは大地にある?!」と題したツアーを行います。大歩危小歩危周辺の自然やそこに住む人々の暮らし、そして「大歩危小歩危」の名前のルーツを辿る旅へジオガイドがいざないます。
秘境の入口
はにかむ観光案内所がある徳善集落は、特急列車が停車するJR大歩危駅があり、秘境祖谷の玄関口と言われています。高知方面と香川方面からのアクセスも良く、美しい渓谷美を楽しめる観光列車も運行しています。
秘境の体験プログラム
ハチの巣の6角形はハニカム構造といって強度が最も強くなる形です。いろいろな力を持った地域の人が集まって地域を盛り上げたいという思いを込めて、また、はにかみ屋の山の住人たちにかけて「はにかむ観光案内所」と名づけました。
それぞれのプログラムは、徳島市の城ノ内高校の生徒と徳善の住民が一緒になって創りあげたものとなっています。はにかむ観光案内所では、周囲の地域の住民が案内役となる「はにかむ体験」の案内を行っています。
住民との温かい交流体験
体験プログラムは地域の特徴や住民の得意分野を取り入れたものとなっています。かつての集落間の連絡手段であった「よびごと体験」やカゴや装飾にもなる「かずら工芸体験」のほか、世界農業遺産に認定された傾斜地農耕システムの体験などがあります。中山間地域だからこその温かい人柄に触れながら体験をお楽しみください。