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2021.06.30
「天空のカフェ」「天空のブランコ」というワードで有名になったお寺がある。それはお遍路でも人気のある『四国霊場第66番札所・雲辺寺』だ。今回は雲辺寺がなぜここまで人気となったのか、Instagramの中の人に聞いてみた。
広い境内からロープウェイに続く道には五百羅 漢像が並び、険しい表情や暖かい表情で参拝に来た人々を見守っている。
ご詠歌に「はるばると雲のほとりの寺に来て月日を今は麓にぞ見る」という歌があり、四国霊場でもっとも標高の高い911メートルの位置にある。
まさしく”雲”の”辺”りの”寺”なのだ。
境内へと続く道は深い霧に包まれる事もあり、そういった時には道沿いに並ぶ巨木のてっぺんを見る事は難しく、全体像が拝めない事すらも。幻想的でどこか神秘的な雰囲気がある。
標高が高くいつも霧に包まれ夏でも肌寒いと感じるお寺は神聖な場所とイメージしがちだが、この雲辺寺の管理をしている副住職も聖人君子で保守的な方なのかと思いきや、実際にはとてもフレンドリーな方だ。
おそらくこの副住職の仕掛けだからこそあそこまで「天空のブランコ」が話題になったといっても過言ではない。
彼が管理しているInstagramはスイーツや、胸がときめくような御朱印の投稿が多い。この”かぁいいー!(かわいい)”にときめくのは学生時代からあったそうで、当時から「NANA」や「ご近所物語」「マーマレードボーイ」「僕等がいた」などの少女漫画もよく読んだまさしく”オトメン”だ。
だからこそ形がコロコロとした12干支のまあるいお守りや、色鮮やかなパステルカラーの四季をモチーフにした御朱印など、副住職の"かぁいいー!”が詰まったラインナップとなっている。
”物静か”、”喋るのが苦手”、”人見知り”、”恥ずかしがり屋”などたくさん出てきたのだが、もっとも力強くおっしゃっていたのは”表に出るのがとにかく嫌”の言葉。だから一切のメディアやSNSに顔出しをしていないし、“自分自身よりもこのお寺を好きになって欲しい”とのこと。
そんな副住職だが、元々はお寺のお坊さんになる予定はなかった。副住職のお父様でもある住職からも”なれ”と言われた事はないそうだ。
小中高のどれも仏教系とは関わりのない学校へ進学し、大学は経営学科を卒業している。
深夜バイトなども経験し、ラーメン屋や高級中華のホールなどでも働いた経験もお持ちだそうだ。また音楽も好きで、中高とバンドでドラムをやっていた。まさしく普通の一般的な学生と変わらない青春時代を過ごした。
住職からも“家のお寺をつげ”など言われる事もなく、「おそらくお坊さんになれば好きに遊ぶこともできない、それがわかっていたから住職は好きにさせてくれたのかもしれない」と思い出すように語った。
成長と共に次第にお寺を継いでいくのは自分しかいないと考えるようになり、大学3年目にその思いはより強く、長男である自分がお坊さんになってお寺を継いでいこうと決意し、大学の卒業の資格を取得し修行へと入ったそうだ。
お坊さんになるにはお寺が属している派と同じお寺へ1年間修業へ行かなくてはならない。もし仏教系の大学へ入り専門の知識を得ていたとしても修行に入ったタイミングで全員同じスタートラインに立てるそうだ。
修行中は一日の行動が決められており、食事も精進料理のみ。
肉魚のような生き物のなかでもいわゆる”足がある食べ物”は口にできない。動物性もダメなので調味料も塩、砂糖、醤油のようなものしか使えない。
さらに家電、携帯、TVはもちろん持ち込み不可。修行をする場所も参拝者の人々が入る事の出来る所から離れており、他人との会話もない。
完全に俗世から離れて修行をする為通信手段などもなく、親の訃報さえも知らせてもらえないほどだ。
ちなみに副住職が修行を終えた際、総理大臣が変わり、なんだか分からないが景気がすごく悪くなっていたと。それぐらい外の情報が入らない世界だ。
21歳で修行に入り1年の修行を終え、雲辺寺の副住職となって13年が経過した。
雲辺寺というお寺をもっと身近に感じて欲しいが、副住職としての立場もあり思うようにいかず葛藤していた時に「天空のブランコ」の計画の話を耳にする。
あの場所にブランコが出来たきっかけとは。
続きはVol.2でご覧ください。
>>オトメン副住職のお寺カフェ計画 Vol.2|四国八十八箇所霊場第六十六番札所 雲辺寺
四国霊場第66番札所 雲辺寺
【Instagram】
(取材・文:堂野彩加)