TOURIST SPOT・EXPERIENCE
所在地:徳島県三好市西祖谷山村善徳162-2
◆ 国指定重要有形民俗文化財 ◆平家一族の哀話を秘める、秘境“祖谷”にあるかずら橋。シラクチカズラ(重さ約6トン)で作られたもので、長さ45m・幅2m・水面上14m。 昔は深山渓谷地帯の唯一の交通施設であった。3年毎に架替えが行われる。急峻な四国山地に抱かれた祖谷地域は、屋島の合戦に敗れ逃れた平国盛と安徳帝の一行が、平家再興を願い土着したと伝わる隠田集落であり、近代まで外部との交通が隔絶されていたために、中世以来の生活様式や独特の風俗が原形に近い状態で残されている。この祖谷地域を流れる祖谷川に、国の重要有形民俗文化財に指定された祖谷のかずら橋が架かっている。 厳寒な冬の山野で採取したシラクチカズラを編み連ねて作られたこの橋は、橋床の隙間から谷底が見え、長さ45mの吊り橋の揺れと相まって渡る人に適度なスリルを味わわせる。日本三奇橋にも数えられるかずら橋の由来には諸説あり、平家の落人が追手から逃れるために切り落とせるように作ったとする説や四国を巡行された弘法大師が困っている村人の為に作ったという説などが伝えられている。両岸の古木に重みを託し、祖谷川の清流に影を映した悠然たるかずら橋の姿は、遠い昔の祖先の暮らしを想い抱かせるとともに、自然と調和した美しい景観を生み出し、その強烈な個性は多くの観光客の琴線を刺激し続けている。◎祖谷のかずら橋ライトアップ 毎日19:00〜21:30の間かずら橋をライトアップします(渡橋はできません) 闇夜の中に照らされた「かずら橋」が幻想的です。◎平家伝説の残る「琵琶の滝」がすぐそばです。 祖谷のかずら橋を渡ってすぐに左に50mくらい行くと、落差約40mの滝が現れます。
所在地:徳島県三好市東祖谷菅生620
TEL:0883-76-0877
秘境の雰囲気が漂う美しい景観に囲まれたかずら橋。平家一族が剣山の「平家の馬場」に通うために架けられたといわれる橋で、男橋(おばし)と女橋(めばし)の二本あり、夫婦橋(めおとばし)とも呼ばれる。近くにはロープを引きながら渓流を渡ることができる「野猿」(やえん)もあり奥祖谷を代表する観光スポットです。※「野猿」(やえん)は、現在使用できません。※奥祖谷二重かずら橋は現在冬季休業中です。次回の営業再開は2025年4月1日(火) 9:00〜です。
所在地:徳島県三好市東祖谷落合
◆ 国選定重要伝統的建造物群保存地区 ◆落合集落は、東祖谷のほぼ中央、祖谷川と落合川の合流点より山の斜面にそって広がる集落である。集落の起源は明らかになっていないが、平家の落人伝説や開拓伝承などが祖谷地方には残っている。集落内の高低差は約390mにも及び急傾斜地に集落を形成している。 江戸中期から昭和初期に建てられた民家や、一つひとつ積み上げた石垣と畑などの光景は、なつかしい山村の原風景を醸し出している。 平成17年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
所在地:徳島県三好市東祖谷菅生191
東祖谷の名頃地区のいたるところに300体以上のかかしがおり、農作業をしたり井戸端会議をしたりするかかし達の風景に思わず心が和む。「かかし村基本台帳」も用意されて村を賑やかにしている。
所在地:徳島県三好市池田町州津蔵谷1006
TEL:0883-72-0812
真言宗別格本山。 天長5(828)年に空海(弘法大師)が金比羅神の御神託を受けて七堂伽藍を建て、自ら刻んだ神像を本尊として開基したといわれる。金毘羅奥の院としても知られ、千年を超える歴史をもつ由緒ある寺である。 また、ガイド付きのアニマルミステリーツアーもある。
所在地:徳島県三好市山城町上名1553-1
TEL:0883-84-1489
景勝地大歩危にある観光情報館と妖怪屋敷と石の博物館の複合施設。平成20年8月8日に国土交通省より道の駅「大歩危」として認定を受けた。石の博物館には世界の珍しい石を展示しているほか、博物館以外にも観光情報コーナー、カフェ、お土産物売場なども備える。 平成22年には、当施設の近隣が妖怪漫画「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する児啼爺(コナキジジイ)の故郷であることから、施設内に地元の妖怪伝承を紹介する「妖怪屋敷」を石の博物館に併設し「妖怪屋敷と石の博物館」となる。妖怪屋敷には、地元住民が手作りで製作した多くの妖怪人形などが展示されています。◯施設内の「Cafe&ジビエ」では地元のジビエ肉を使用したユニークなジビエバーガーが楽しめます。
所在地:徳島県三好市西祖谷山村東西岡46
TEL:0883-84-1408
◆ 三好市重要有形文化財 ◆平家の資料や遺品を展示しています。安徳帝の御典医、堀川内記の子孫代々の屋敷。堀川内記は、平家滅亡の折に一族とともに入山し、薬草の豊富な祖谷の地で、医業と神官を務めた人です。 庭には、樹齢800年の老樹がそびえ、江戸時代の民家をそのまま保存した館内には、鎧・旗・古文書・生活用具などが展示されています。
所在地:徳島県三好市東祖谷京上14-3
TEL:0883-88-2286
"平家落人の里”として伝説が今も息づく祖谷地方。平清盛が生きた時代や源平合戦など正史を取り上げながら、『平家物語』と「祖谷平家伝説」の関わりを紹介し、伝説ゆかりの場所を写真パネル等で取り上げています。 また、東祖谷は深奥の秘境であり、全ての始まりの地でもあったことから、独自の文化・風習・慣習が育まれました。資料館では、四季を通じた東祖谷の姿、時代の変化に伴う日常道具の変遷、生活を潤す芸術品など、村民が大切に残した時代の形をご覧ください。 2階には500名収容のホールもかねそなえています。
所在地:徳島県三好市東祖谷大枝43
TEL:0883-88-2040
宝暦13年(約250年前)に建てられた祖谷地方でも最も大きな武家屋敷。屋島の戦に敗れた平氏一族が落ちのびてきた東祖谷山村大枝地区は、平家縁の地である。 この平家の里の名主であった「喜多家」は、祖谷の上層階級の武家屋敷である。庭先には「鉾杉」もあり一見の価値有り。
所在地:徳島県三好市東祖谷釣井209
TEL:0883-88-5290
築300年の古民家。奥祖谷は日本のチベットともいわれ、標高が高く、峡谷になっている。東洋文化研究者のアレックス・カー氏が購入し「篪庵(ちいおり)」と命名。「篪(ち)」は竹の笛という意味を持つ古い漢字。そして「庵(いおり)」は草屋根の小屋を意味する。カー氏がフルートを吹くことから「笛の家」という意味で付けられた。
所在地:徳島県三好市池田町白地ノロウチ763
TEL:0883-74-0066
四国霊場で最も標高高い場所にある(911m)四国第66番札所。 延暦8(789)年、空海(弘法大師)が16歳のとき、深遠な霊山に心うたれて堂宇(どうう)を建立したのが創建といわれる。 別名「四国高野」で知られる由緒ある寺。 愛媛県境からつながる遍路道の一部は国の史跡でもある。
所在地:徳島県三好市池田町マチ2465-1
TEL:0883-72-3450
交通の要衝として、たばこ等の集積地として発展した池田の旧街道に残る古いたたずまいは、どことなくさびしげで、ひとりもの思いにふけりたくなるような町並みである。幕末から明治にかけて繁栄したたばこ製造業者の旧居宅をたばこ歴史資料館として残す。百年以上を経過した今でも当時の繁栄振りを想像させる。中庭は四季折々の美しい花が咲く。
所在地:徳島県三好市山城町上名
TEL:0883-72-7620
児啼爺(こなき爺)三好市山城町上名に伝わる妖怪で、民俗学者 柳田国男氏が編集した「妖怪名彙」のほか、水木しげる氏の漫画「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場する有名な妖怪です。 2001年には伝承の残る藤川谷に、地元の有志によって児啼爺の石像が建立され、年間を通じて観光客が訪れています。像の横に立つ石碑には、作家 京極夏彦氏の直筆による説明文が彫られています。
所在地:徳島県三好市井川町岡野前64
TEL:0883-78-4311
刻みたばこのパッケージや版木・たばこの歴史等のたばこ関連の資料が展示してあります。その他にも昔の生活の一部を部屋ごと再現した展示や昔の農機具、平家の赤旗、内田弥八の資料、谷口薫美氏と山下菊二氏の絵の展示もあります。
所在地:徳島県三好市東祖谷阿佐244
TEL:0883-72-3910
屋島の戦いに敗れた平家の落人・平国盛が住みついた平家屋敷。建築様式が全国でも珍しく、徳島県の有形文化財として指定された。(H12.3.21付) 外観及び内部を一般公開している。
所在地:徳島県三好市東祖谷釣井107
TEL:0883-72-3910
◆ 国指定重要文化財 ◆木村家住宅は、徳島県西部、剣山地祖谷山に所在している中規模な山村農家で、「今井にあった福松院の建物をもらって改築し、その当時七軒あった「石据え」のうちの一軒である」と伝えられている。建築年代は元禄12年の棟札があり、祖谷地方最古の家といわれている。間取りも山村民家の典型的なものをもち、祖谷地方の民家を知る上で好個の資料になるものとして、昭和51年、国の重要文化財に指定された。【工事のお知らせ】2023年4月からしばらくの間工事を行う予定です。
所在地:徳島県三好市東祖谷菅生28
TEL:0883-72-3910
◆ 国指定重要文化財 ◆祖谷地方に発達した構法で建てられた小規模民家の特徴をよく表した貴重な民家である。天保年間(1830~44)の建築で、ニワとオモテからなる「一間取」の住宅で、土壁を保護するためのヒシャギ竹と呼ばれる割竹で外壁の表面に覆い、正面中央に前便所があるなど特徴的な外観をもつ。昭和58年8月に旧東祖谷山村栗枝渡集落から現在の東祖谷菅生集落へ移築復原された。写真は、移築当時の写真。(国指定重要文化財) ※見学は外観のみ。中には入れません。
所在地:徳島県三好市西祖谷山村徳善113
◆ 国指定重要文化財 ◆南北朝時代の武将楠木正成の家臣の屋敷。天然の要塞と深い配意で乱世を生き抜いた阿波山岳武士の風格を今に伝えている。
所在地:徳島県三好市井川町井内東2375
TEL:0883-78-2759
地福寺蔵より 寿永3年(1180)源平合戦で、屋島の戦いに破れた平教盛(のりもり)の次男国盛は、幼帝安徳天皇を奉じ祖谷の地をめざして落ちていった。一行は井内屋の地福寺に泊し、この二流の赤旗を残して、36名の一行は出発したという。祖谷阿佐家にこれと寸分違わぬ二流の赤旗があるが、地福寺のこの軍旗は昭和になって発見されたという。 隣りに展示された源氏の白旗が南北朝時代のものとすれば、この赤旗もその時代のものという意見も出るが、とにかく源平合戦のものにかわりない。古の争いの象徴である二つの軍旗は今平和の象徴として此所に並んでいる。
所在地:徳島県三好市池田町西山岡田382-3
TEL:0883-72-3910
三好市街と吉野川を見下ろす洞草台地に、約230年前に立てられた長屋門がある。 東西22m、奥行4m50cmのカヤぶき白壁づくりで、問屋・番屋・用人部屋・寝室・馬小屋等があり、藩制時代の村役人の強大な力を示す壮大な構えである。
所在地:徳島県三好市三野町加茂野宮1796
TEL:0883-77-2486
およそ1200年前(天長年間、西暦824~834年)に弘法大師(空海)が開いた寺で、国の重要文化財に指定されている木彫りの「聖観音立像」がまつられている。像は、藤原時代の一木造りで、ずんぐりした感じの体、短い首、大きな宝髪、型の角張ったところなど、古様が残っている。毎年一回、正月29日の縁日にご開帳があり、その穏やかな顔立ちを拝顔することができる。 また、阿波統治の基礎を固めた小笠原長清の子孫、三好長慶の墓があることでも知られている。
所在地:徳島県三好市西祖谷山村南山155
後醍醐天皇第一皇子一宮尊良親王と相愛の仲となり、祖谷にて出産なさり産後の静養ままならず亡くなられたことから、その後村の安産の神とし尊崇され、多数の参拝者があとをたちません。毎年、9月第二日曜日にお昼十二時頃から古宮祭りを開催しています。(神事、民謡民舞、創作劇、バザー等)
所在地:徳島県三好市西祖谷山村徳善西82
大歩危峡右岸の山中、旧街道沿いの尾根上に位置する。一間社流造銅板葺、柱を長押で固め台輪を載せ組物は二手先。正側面に高欄付切目縁を廻し、脇障子を隅行に建てる。脇障子や木鼻、正側面及び庇の虹梁形頭貫の蟇股等、各所を彫刻で飾った、華やかな社殿。
所在地:徳島県三好市山城町寺野113
TEL:0883-86-1322
海抜400mの大渡峯に位置し、仁賢天皇の御鎮守である。 精神病、ものの気(け)つき・五穀豊穣・海上安全の守り神であり、県内外に多くの信者をもつ。
所在地:徳島県三好市池田町シンヤマ3582
祭神は「品陀和気命(ほんだわけのみこと)」で、例祭は10月13日だが開催を易くするため10月第2日曜日にしている。1月の「百射手(ももて)祭」、4月の春祭り、10月の例祭には神輿の渡御と巡幸、11月の新嘗祭、12月の大祓の祭礼がある。 境内社地には新山道路からの入口のほか、古くからの池南集落から続く古道から入る階段を上ると左右に狛犬、右手奥に手水舎があり、左手に「百度石」そして鳥居があり、続いて石燈籠がある東西に細長い境内となっている。 祭神の「品陀和気命」は、また「誉田別命」とも書かれ、「八幡神」「ヤワタノカミ」「ハチマンシン」は武家の神様で弓矢の神として尊崇されたことからも「百射手祭」が由縁となっている。
所在地:徳島県三好市池田町ウエノ2790
祭神は「速須佐之男神(はやすさのおのかみ)」で、例祭は10月7日だが体育の日の前後の土曜と日曜日に移行して、ダンジリと神輿の渡御と巡幸が行われる。境内には病気平癒を祈願する撫牛が祀られている。7月の夏祭りには2019年まで花火が打ち上げられていた。 祭神の「速須佐之男神」は「建速須佐之男命」あるいは「須佐之男命」や「素戔男尊」「須佐之袁尊」など様々に表記されている。神仏習合では「牛頭天皇」とされている。 社地入口は少々複雑で、道路右側の鳥居の手前右側に手水舎があり、続いて左右に狛犬があって、すぐ右に石の水盤があって鳥居、進むと左右に石燈籠、左手には庚申塔と地神塔があって正面に拝殿となる。
所在地:徳島県三好市池田町ウエノ2907-3
祭神は「建御名方神(たけみなかたのかみ)」で、例祭は10月18日であるが、近年は4月第1日曜日にも行い、10月には神輿の渡御と巡幸が行われ、大晦日に除夜祭を行う。 由緒沿革に、中世13世紀に阿波の守護になった小笠原氏が生国の信濃から諏訪大社の分霊を勧請して大西池田城の守護神として祀ったとされる。 祭神の「建御名方神」は「大国主神」の子で、国譲りの際に「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」と力くらべをして敗れ、信濃の諏訪湖に逃げ、その国を出ないと誓って許されたという話が『古事記』にある。 社地に向かうには学園通り側の鳥居と、書院橋からの階段通路と千五百河原側の階段残余分の合点にも鳥居があり、手前右に「百度石」、左に手水鉢があって、境内西側には様々の記念碑が点在・建立されている。
所在地:徳島県三好市池田町ハヤシ1264
祭神は「事代主神(ことしろぬしのかみ)」で、例祭は10月17日である。祭礼はほかに元旦祭、大祓、夏祭り。例祭には神輿の渡御と巡幸があり、新嘗祭、大祓がある。 正式の入口となる階段を上るとすぐ右手に「手水舎」と続いて「百度石」があって鳥居となり、左手に由緒板があり、境内に進むと右に3つの境内社がある。 ふつう「スギオジンジャ」と呼ばれるが、正式には「スギノオジンジャ」と言う。 祭神の「事代主神」は七福神の一神として知られる「恵比寿」さま、夷様のことである。『古事記』では、国譲りを要求する高天原(たかまがはら)からの使者に対し、父の大国主神に代わって国譲りの誓約をした。神のお告げ(託宣)を述べる役割をもつとされる。「八重(やえ)事代主神」とも呼ばれる。
所在地:徳島県三好市池田町マチ2287
祭神は「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と「少彦名神(すくなひこなのかみ)」で、例祭は10月17日で前日も併せて神輿(みこし)の渡御と稚児行列が行われる。毎月1日が「月次祭(つきなみさい)」。元旦祭、夏祭り、大晦日には除夜祭が行われる。境内社が5社あり、南側の階段入口鳥居の左に「手水舎」が、右に「百度石」があって、西側境内地に5角形の「地神塔」がある。 祭神のうち「少彦名神」は「少名昆古那神(すくなびこなのかみ)」とも言われる。少彦名神は医薬の神様とされ、神話では体の小さい神様で、大国主神と協力して国づくりを行い、のち常世国(とこよのくに=遥か遠くにある不老不死の国)に帰ったとされる。 医家神社はよく「イゲジンジャ」と言われるが、正しくは「イケ」と濁らず言う。
所在地:徳島県三好市西祖谷山村善徳1204(善徳天満宮神社境内)
TEL:0883-72-3910
神代踊は、1100年以上昔の雨乞いがその起源とされ、各地で伝えられてきた厄除けや虫送りの儀式とは異なるものである。あでやかで勇壮な踊りは1976年に国指定重要無形民俗文化財に登録、また2022年には全国41件の風流踊とともにユネスコ無形文化遺産に登録されている。
所在地:徳島県三好市西祖谷山村重末249(重末八幡神社境内)
TEL:0883-87-2322
応永2年(1419年)に建立された西祖谷の重八幡神社に伝わる太鼓で、五穀豊穣と悪魔退散を祈って秋祭りに奉納される。
所在地:徳島県三好市西祖谷山村徳善110(徳善阿弥陀堂横広場)
TEL:0883-76-0877
襖からくりは、一列に並んだ数枚の襖絵が、 縦や横、斜めに回転し、次々と変わる風景や 模様を楽しむ伝統芸能です。徳善からくり襖絵は、大変珍しい仮設の移動式からくり舞台で使用されす。後山襖絵より一回りサイズが大きく、総数は9組57点。秋祭りの時期に地元の民謡民舞と合わせて鑑賞いただけます。 三好市指定有形民俗文化財。[指定年月日:2012.12.20]
所在地:徳島県三好市西祖谷山村後山289(後山農村舞台)
TEL:0883-76-0877
襖からくりは、一列に並んだ数枚の襖絵が、 縦や横、斜めに回転し、次々と変わる風景や 模様を楽しむ伝統芸能です。戦後の 復興と高度経済成長とともにいつしか姿を消 してしまいましたが、平成17年10月に 50年ぶりの復活公演を開催しました。襖絵69枚。 現在、秋祭りの時期に地元の民謡民舞と合わせて鑑賞いただけます。 三好市指定有形民俗文化財。[指定年月日:2006.2]
所在地:徳島県三好市西祖谷山村徳善110(徳善阿弥陀堂横広場)
TEL:0883-76-0877
起源は菅原道真が讃岐守在任中にその端を発し、大旱ばつによって困憊していた農民のために雨乞いの祈願として行ったものと伝えられている。 ※毎年10月開催の襖からくり夜間公演(土曜日:何週目かは不定期です)の中で披露しております。
所在地:徳島県三好市三野町芝生822
1465年頃、三好氏の祖となる義長が築城。県道12号線からすぐ北の一段高い河岸段丘一帯にあって、小字を「殿屋敷」といいます。遺構はないが、説明案内版あり。
所在地:徳島県三好市池田町サラダ1661
徳川幕府の一国一城制により大西城はとりこわされ、領内の治安や国境の守りにあたる池田士が選ばれ、その中の一人馬宮氏の館の門として建てられた。
所在地:徳島県三好市山城町寺野
標高460mの城山山頂にあり、天正5年、長曽我部元親の進功軍と華々しく戦った古戦場である。
所在地:徳島県三好市山城町(全域)
TEL:0883-84-1489
三好市山城町は、大歩危峡小歩危峡や塩塚高原などで知られる四国山地のけわしい秘境です。そこは、四国の国ざかいを守る勇敢な山岳武士の里であるとともに全国まれにみる妖怪変化の伝説の里でもあります。一歩あやまれば危険な所がいっぱいあり、そんな所には必ず妖怪の話があり、人々はそこに近づかないようにするなど、妖怪の話は事故や事件から身を守る知恵として伝え聞かされて、くらしのなかに生きつづけてきたのです。このようなことや地元住民が行う妖怪を題材とした地域活性化の取り組みが認められ、平成20年5月25日に世界妖怪協会より「怪遺産」に認定されました。ちなみにこの認定は第2号認定で、1号認定は鳥取県境港市です。
所在地:徳島県三好市三野町太刀野1909−1
◆ 徳島県指定天然記念物 ◆中央構造線とは、西南日本の地質を大陸側と太平洋側にわける大断層のこと。 九州の八代市から四国の松山、池田、三野、鳴門を経て紀伊半島を縦断し、伊勢湾から天竜川沿いに諏訪湖に至り、さらに関東山地に延びる約1000kmを超える大断層である。 現在は、吉野川の北岸河畔、道の駅「三野」の駐車場脇下で露出状況が見られる。
所在地:徳島県三好市三野町芝生
山本新太夫翁は今から約200年前芝生村で生まれ、庄屋助役として庄屋平尾集兵衛とともに活躍していた。 文化三年、吉野川北岸一帯がひどい干ばつに襲われ、農民は重税と飢饉に耐えられず讃岐に逃散した。庄屋と相談し、失敗すれば切腹して詫びるという血判状で水路を作る藩の許可をもらい、二年後、難工事を完成させた。 しかしその後、毎年氾濫する土砂で水路が埋まり、思案しているうち、九州の炭坑夫の話にヒントを得て、トンネルによる用水路の開削を思い付いた。翁は、財産と引き換えを条件に許可を取り、山の中を掘り抜き、文政十年の晩秋、大きな犠牲と幾多の困難に打ち勝ち、長さ268.5メートルの用水路が完成した。 この用水路のおかげで三村(加茂野宮村・勢力村・芝生村)はうるおい、芋が主食の貧乏村は豊かな穀倉地帯となった。
所在地:徳島県三好市池田町ウヱノ2903−1 (諏訪公園内)
「春ふかき落花の塵を踏みながら諏訪山みちをのほり来しかな」 この歌碑は、昭和12年に吉井勇が三好市池田町に来町し、諏訪公園にて遊び、詠んだものを碑として建てたものです。
所在地:徳島県三好市池田町サラダ 阿波池田バスターミナル内
「刻煙草ちゃ池田が本場昔ながらの阿波刻み 雨情」 この碑は、昭和11年に野口雨情が三好市池田町を訪れたときに、十五節からなる「池田小唄」を創作しました。 その中の十節目を阿波池田バスターミナル(旧たばこ工場)脇に碑として建てたものです。
所在地:徳島県三好市池田町白地本名76−2(白地温泉小西旅館前)
「旅に寝てのびのびと見る枕かな 二十六日 白地村にて」昭和16年に放浪記で有名な女流作家林芙美子が三好市池田町白地にある旅館に滞在し、そこを舞台に小説2編を残しています。 この碑は滞在中に林芙美子が詠んだものを碑として建てたものです。