TOURIST SPOT・EXPERIENCE
所在地:徳島県三好市井川町井関
吉野川を一望できる高台の公園で、早咲きの桜が有名である。3月下旬になると100本はあるソメイヨシノの花が公園いっぱいに咲き誇る。園内には遊具や東屋、ベンチがあり、家族一緒にお弁当を広げてゆっくりできます。
所在地:徳島県三好市三野町芝生822
1465年頃、三好氏の祖となる義長が築城。県道12号線からすぐ北の一段高い河岸段丘一帯にあって、小字を「殿屋敷」といいます。遺構はないが、説明案内版あり。
所在地:徳島県三好市池田町サラダ1661
徳川幕府の一国一城制により大西城はとりこわされ、領内の治安や国境の守りにあたる池田士が選ばれ、その中の一人馬宮氏の館の門として建てられた。
所在地:徳島県三好市池田町イタノ
吉野川・池田ダム湖に架かる、ランガー形式のバランスドアーチ橋(世界一)。 5径間連続バランスドコンクリートアーチ橋はここだけ。 四国のほぼ中心に位置し徳島自動車道にある。 橋下には、池田ダム湖、水際公園がある。
所在地:徳島県三好市三野町太刀野1909−1
◆ 徳島県指定天然記念物 ◆中央構造線とは、西南日本の地質を大陸側と太平洋側にわける大断層のこと。 九州の八代市から四国の松山、池田、三野、鳴門を経て紀伊半島を縦断し、伊勢湾から天竜川沿いに諏訪湖に至り、さらに関東山地に延びる約1000kmを超える大断層である。 現在は、吉野川の北岸河畔、道の駅「三野」の駐車場脇下で露出状況が見られる。
所在地:徳島県三好市三野町芝生
山本新太夫翁は今から約200年前芝生村で生まれ、庄屋助役として庄屋平尾集兵衛とともに活躍していた。 文化三年、吉野川北岸一帯がひどい干ばつに襲われ、農民は重税と飢饉に耐えられず讃岐に逃散した。庄屋と相談し、失敗すれば切腹して詫びるという血判状で水路を作る藩の許可をもらい、二年後、難工事を完成させた。 しかしその後、毎年氾濫する土砂で水路が埋まり、思案しているうち、九州の炭坑夫の話にヒントを得て、トンネルによる用水路の開削を思い付いた。翁は、財産と引き換えを条件に許可を取り、山の中を掘り抜き、文政十年の晩秋、大きな犠牲と幾多の困難に打ち勝ち、長さ268.5メートルの用水路が完成した。 この用水路のおかげで三村(加茂野宮村・勢力村・芝生村)はうるおい、芋が主食の貧乏村は豊かな穀倉地帯となった。
所在地:徳島県三好市池田町ウヱノ2903−1 (諏訪公園内)
「春ふかき落花の塵を踏みながら諏訪山みちをのほり来しかな」 この歌碑は、昭和12年に吉井勇が三好市池田町に来町し、諏訪公園にて遊び、詠んだものを碑として建てたものです。
所在地:徳島県三好市池田町サラダ 阿波池田バスターミナル内
「刻煙草ちゃ池田が本場昔ながらの阿波刻み 雨情」 この碑は、昭和11年に野口雨情が三好市池田町を訪れたときに、十五節からなる「池田小唄」を創作しました。 その中の十節目を阿波池田バスターミナル(旧たばこ工場)脇に碑として建てたものです。
所在地:徳島県三好市池田町白地本名76−2(白地温泉小西旅館前)
「旅に寝てのびのびと見る枕かな 二十六日 白地村にて」昭和16年に放浪記で有名な女流作家林芙美子が三好市池田町白地にある旅館に滞在し、そこを舞台に小説2編を残しています。 この碑は滞在中に林芙美子が詠んだものを碑として建てたものです。